事例報告や実践研究をまとめたことのある方に、ひとつだけ質問させてください。原稿を入れているフォルダ、いま開いてみて、こうなっていませんか。
実践報告_初稿.docx実践報告_修正版.docx実践報告_修正版2.docx実践報告_最終版.docx実践報告_最終版_これでいく.docx実践報告_最終版_これでいく_先生コメント反映.docx
最終版が、6つあります。
どれが本物なのか、開いてみないと分からない。しかも締切前夜に「やっぱり考察は前の書き方のほうが良かった」と思い出しても、その「前」がどれだったか、もう思い出せません。
今日から3回にわたって、この問題を 20年以上前に解決してしまった道具 のお話をします。Gitといいます。プログラマーの道具ですが、中身は「文字を何度も書き直す作業」を助ける仕組みなので、実践報告でも、規程集でも、翻訳でも、まったく同じように使えます。
Gitって、あの黒い画面に呪文を打ち込むやつですよね……。さすがに私には無理だと思うんですが。
呪文は覚えなくて大丈夫です。今はボタンで押せます。それに、この道具がいちばん効くのは プログラムより、むしろ長い文章のほう なんですよ。
もう一つの派閥 ―「日付を付ける人たち」
「最終版」派に対して、もう一方の大勢力があります。日付派 です。
「最終版なんて書くから破綻する。日付なら客観的だ」と考えて、実践報告_20260403.docx と付ける。美しい。理にかなっている。並べれば時系列。完璧な体系がここに誕生した……はずでした。
3か月後のフォルダが、これです。
実践報告_20260403.docx実践報告_20260403_2.docx実践報告_2026-4-11.docx実践報告_260415.docx実践報告_20260415(新).docx実践報告_令和8年4月18日.docx実践報告_20260418_これが最新.docx
「最終版」が復活しています。 しかも今回は、もっと厄介です。
まず、書き方が揺れる。20260403 と 2026-4-3 と 令和8年4月3日 は、パソコンにとっては赤の他人なので、名前順に並べても仲良く並んでくれません。西暦と和暦が交互に現れるフォルダは、もはや年表ではなく 地層 です。
次に、日付が中身とずれる。あれは「保存を押した日」であって「書いた日」ではありません。印刷しようとして古い版をうっかり開き、何も直さずに閉じただけで、その瞬間に半年前の草稿が最新の顔をします。更新日時の列は、もう信用できません。
そしていちばんの問題。日付は「何をしたか」を何も教えてくれない ことです。半年後の自分が 実践報告_20260415.docx を見つけても、読み取れるのは「4月15日である」の一点だけ。その日の自分が何を考え、どこを直し、なぜ4月11日の版を捨てたのかは、どこにも書いていません。結局、全部開いて読み比べることになります。
ファイルが10個のうちは、日付は情報です。50個を超えると、日付はただの 模様 になります。
Gitは「原稿のセーブポイント」
ここでGitの登場です。難しい説明はしません。ゲームのセーブ だと思ってください。
難しいボスに挑む前にセーブする。負けたらロードしてやり直す。Gitがやってくれるのは、これとまったく同じことです。
区切りのいいところで「セーブ」を押す。このとき、「何をしたか」を一言メモとして添えます。すると、こんな一覧が自動でできあがります。
4月11日 考察の3つ目の論点を丸ごと入れ替えた
4月15日 倫理的配慮の記載を追加した
4月18日 共同研究者のコメントを反映した
注目していただきたいのは、日付は誰も打っていない ことです。Gitが勝手に記録します。人間の側が書くのは「何をしたか」だけ。さきほどのフォルダで、いちばん欲しかった情報が、まさにそれでした。
そして、どのセーブポイントにも いつでも戻れます。4月11日の朝の状態を、いつでも取り出せる。ですからファイル名は 実践報告.docx の一つきりで足ります。「最終版」も「これが最新」も、もう要りません。
GitHubは、原稿を預ける書庫
もう一つ、セットで出てくるのが GitHub(ギットハブ) です。こちらは、そのセーブデータを預けておくインターネット上の書庫だと思ってください。
- パソコンが壊れても、原稿は無事
- 出先の別のパソコンからでも続きが書ける
- 共同研究者と、同じ書庫を共有できる
論文が消えたときの絶望を一度でも味わった方には、この一行だけでも価値があると思います。ちなみに個人利用は無料です。
メモを書くのが面倒? そこもAIに頼めます
「セーブのたびに一言メモを書くなんて、続かない気がする」――もっともです。でも、ここでAIの出番です。
AIは、あなたが直した箇所を 前の版と見比べて 説明できます。ですから、こう頼めばいいのです。
考察の第2節を、時系列順の記述からテーマ別の整理に組み替え。あわせて註を7か所付け直し。
これで十分です。書き手が思い出す必要すらありません。記録は道具に任せて、人間は考えることに時間を使う ――このコーナーでずっとお話ししてきた考え方が、原稿管理にもそのまま当てはまります。
あんしん ― 呪文は、覚えなくていいです
冒頭のご心配にお答えします。黒い画面は使わなくて大丈夫です。
- GitHub Desktop:セーブも、書庫への保存も、ボタン一つ。無料です
- Obsidian をお使いなら、拡張機能を入れると、書いている裏で勝手にセーブしてくれます
- Googleドキュメント にも「変更履歴」があります。日々の共同編集ならそちらのほうが手軽です(使い分けは第3回でお話しします)
そしてもう一つ、大事なご注意を先にお伝えしておきます。逐語録や支援記録、お名前の入った資料は、インターネット上の書庫に上げないでください。 Gitは、書庫を使わずに自分のパソコンの中だけでも動きます。この線引きは第3回でくわしく扱いますが、原則として「ここから先は見せない」の回と同じ考え方だと思ってください。
ひとこと: 「最終版」も日付も、もとをたどれば 「あとで自分が困らないように」 という善意から始まった工夫です。悪いのは工夫のほうではなく、それを全部ファイル名でやろうとする無理のほう。名前欄という細い場所に、日付も、版数も、申し送りまで詰め込もうとしていたわけです。その荷物、道具に持たせてしまいましょう。
次回は、いよいよAIとの合わせ技です。AIに整えてもらった原稿、どこを変えられたか、本当に分かっていますか? ――事例報告では笑えない話になります。
あわせて読みたい:〈道具編〉③ Obsidian ― 書いたものが、あとで効いてくる/AIとの付き合いで、ここから先は見せない
「こんなこと、パソコンやAIでできる?」というギモンがあれば、お問い合わせフォームからぜひ教えてください。次の「教えてAIさん」で取り上げるかもしれません。